目が覚めると憎き親友たちはいなくなっていた。そりゃそうか。一週間も寝てたらしいからな。
幸い”私”を保ったまま意識を失ったので秘密は守られたままだ。良司さんとベリーに聞いても目が覚めるまで”俺”に戻ることはなかったという。
ちなみにシラーは未だ便器とランデブーしてるらしい。それから盗撮の類いの魔法が心配だったので、今ジャックに確認してもらっている。
あいつらはいつだって誰かの弱味を握って危険な仕事をさせようと企んでいる。それも無報酬で。俺も何度危ない橋を渡らされたことか。ていうか橋すら無かったこともある。あのときは絶望したなぁ……。
ただまあ、今回はなんだかんだで楽しかったし、なにより魔力が半分ほど回復しているという、いつぶりかの状態の良さ。感謝しておこう。
最悪の味という欠点はあるものの、この世界にこれほど魔力が豊富なものが存在していたとは。確か万年ウミウシとアホ人魚だったか?
「図鑑、図鑑……っと………あっ」
調べてみようとベッドから降りて思い出した。なぜ爆破したはずの家やジャックが無傷なのかを。
ちょうどジャックが戻ってきたけど、それとなく腰に手を回されそうな気配がしたので良司さんの後ろに隠れる。
「心配していた魔法も機械もなかった――なぜ離れる?」
「俺にゴキブリとイチャつく趣味はない。ていうかなんで無傷なんだ。家も、お前も」
「あ、それは僕も気になってた。家がなくなったから別荘に引っ越さなきゃって思ってたんだよ」
べ、べべべべ別荘!? 今、別荘って言ったのか!?
「……持ってるんですか?」
ゴクリと喉が鳴ってしまった。
「うん。ブライトンとブリュッセルとウィーンとサンフランシスコに一軒ずつね」
四軒!? しかも海外!? JRR職員とはそんなに儲かる仕事なのだろうか……。
「ほう、ブライ
まずなにから話そうか……そうだな、ジャックのその後からにしよう。 盗みを働いたあげく巨人を殺したジャックは、金や銀を吐き出す袋に金の卵を産む鶏、そして魔法のハープでぼろ儲け。一目惚れした男爵の娘と結婚するため、金にものをいわせ、それはもう強引に婿養子となった。 あっという間に子供を二人もうけるも、妻には早々に飽きて、美しい侍女や爽やかで凛々しい騎士見習いを節操なく次々と囲い入れていった。子供たちにはデレデレだったらしいが、育児は妻と母に任せっきり。そうして好き放題のまま約三年ほど暮らしたという。 しかしある時、宝物が忽然と消えてしまった。また、災難は続くもので、空から巨大な木の根が顕れてジャックを館ごと引き上げていった。その際、逃げようとした妻と母、使用人たちが空に放り出され絶命。ジャックと子供たちだけが残された。 巨大な木の根が蔓延る雲の世界はかつてと違い、酷く荒廃していた。そこでジャックを待っていたのが巨人の娘。 実はジャックが殺した巨人は異世界の月へと繋がる門の番人であり、妻は月の精霊だったのだ。 当時は世界と世界の繋がりが不安定で、そういった場所は珍しくなかったらしい。 ジャックが盗み出した宝物は月の大精霊から門番夫婦に貸し出されていたもの。巨人の妻は贖罪として命を差し出し、同時に娘の命を救う願いに換えた。 当然、巨人の娘は復讐に燃えた。とある神直属の部下である緑色の部下たちの力を借り、恨みを晴らすべくジャックを捕獲した。だが家族の死に涙する仇を前にした彼女は冷静であった。自分がされたようにジャックの家族を奪い、我に返ったのだろうか。 巨人の娘は両親の墓前で謝罪し宝物を返せば、子供たちと下界へ帰すと言う。だがジャックは既に宝物を失っている。 結局ジャックは許されなかった。 毎日目の前で少しずつ肉を削ぎ落とされる我が子ら。空腹はその肉で満たされ、喉の渇きはその血で癒された。 子らの解放と自らの死を懇願し続けながら、すっかり二人を食べ終えた頃、今度は転生する度に一切の幸福を得ることなく、必ず転生者した家族を巻き込んで苦しみと後悔溢れる人生を送る呪いをかけられた。解呪するには、やはり宝物を返すしかないらしい。 ジャックは絶望のまま死を迎えようとしていた。 そこにひょっこり緑色の悪魔が現れる。道に迷ったと言うそれは、歌って踊る陽気な悪魔
その老人の正体っていうのが――「母なんです」 「えっ!? 紫さん!?」 信じられないのも無理はない。良司さんは母の美しい部分しか見ていないのだから。「今でこそ穏やかな感じですが、母は結婚を期に引退するまでバリバリの悪い魔女だったんですよ。白雪姫をブチ殺すよう唆した魔法の鏡の中の人だったり、ヘンゼルとグレーテルとか、いばら姫とか……とにかく童話とかそういうのに出てくる悪い魔女は全部母だと思ってもらってかまいません」 そう、竜胆家は由緒正しき悪の一族なのだ。 因果は巡る糸車、かつて母が陥れた者やその子孫たちは、竜胆家が母の血筋だと知ると即報復を企てる。 中でも強烈だったのがヘンゼルとグレーテルの子孫。軍の秘密部署に所属していた奴は、あろうことか我が家に向けて魔女浄化ミサイルなるものを発射しやがった。 それにいち早く気付いた当時まだ学生だった姉、黃壱がぶちギレ。烈火の如く反撃した結果、ミサイルが七百個複製され奴の母国上空へ瞬間移動、エ●ァンゲリオンも真っ青な大爆発を起こした。 当然、国際問題に発展した。 しかし何をしたのか知らないけど、両親が奴に全責任を負わせたお陰で、黃壱は同族浄化という大罪を逃れることができた。 ただ俺としては、黃壱がどこかの監獄にでもぶち込まれてくれた方が嬉しかった。なぜならその後、そういう奴らを見つけ出しては喧嘩を吹っ掛けるようになった黃壱の巻き添え食らう羽目になったからだ。 今思い出してもゾッとする。どいつもこいつも反撃のためには手段を選ばない異常者ばかりなんだもん。「それで、母はまだ魔法のハープを愛用してまして……ほら、母の部屋へ行った時、音楽が流れてたじゃないですか。あれがそうです」 「そういえばそうだったような……」 「あれを返す気なんてさらさらない母は、退魔師に扮してジャックを封印したんです」 人間による真実の愛のキスで封印が解けるなんてやはり母も昔の感覚が残っていると思ったが、よく考えればゴキブリにそんなことする人間が現れるとは思えないから、やはりえげつない封印だ。「もしかして白緑君って、他にも童話の裏話を知ってたりする?」 「まあ……こういう類いの話は絵本がわりによく聞かされたので」 にしても迂闊だった。ネクロマンサーのゴキブリと知った時点で気付けるはずだったのに。豆の木も囓ってたわけだし……お
ジャックの放つ光は近付くにつれて強烈になっていく。 こ、これ、ひ弱な人間なら灰になってるところだぞ。ジャックのやつめ、愛しいとかほざいておきながら殺しにかかってるじゃないか。だからネクロマンサーは信用ならないんだ。「く、くそう……」 はっきり言ってどうしていいか分からない。ベリーを頼ろうにも、さっきの言動のせいかジャックに力を貸してやがる。俺の魔力を奪いジャックへ流し込む非道さ。最低なやつだ。 シラーはシラーで苦しそうにしながらもニタニタと俺を見てくる。同じく魔力を……まったくなんて薄情なんだ。俺の使い魔のくせに信じられない。性根が腐りきってる。「イトシイ、ミドリ……」 とかなんとか考えているうちにジャックの手が顔の前まで迫っていた。 ああ、もう駄目だ。真なる魔女になって親父に褒めてもらいたかっただけなのに、異世界に飛ばされて使い魔に裏切られたあげくネクロマンサーに殺されるなんて。 眩しさと諦めで目を閉じれば、思い出が走馬灯のように駆け抜けていき、最後にヘラヘラ笑って俺を抱き締めようとする親父と不満そうな緑色のちんちくりんの姿が浮かんだ。 短い人生だったな……「ふはっ。目を開けろ白緑」 死を覚悟して来世はどんな種族がいいかと考えていたらジャックが吹き出した。まともな声に戻っている。 恐る恐るだが言われたとおり目を開けると、ジャックはしてやったりといった顔をしていた。「え? は?」「どうだ白緑? 恋に落ちたのではないか?」 はあ? 「ドキドキしたであろう? その胸の高鳴りは我に恋しているからなのだぞ」 どういう思考回路してんだコイツ。今の状況でどうやったら恋に落ちるってんだ。なんだ? ゴキブリの求愛はこうだってのか?「これはかの有名な――」 この時代、誰でも知っているであろう吊り橋効果のことを大発見のように説明していくジャック。さっき紹介された料理人の幽霊たちが感銘を受けたよう表情でジャックを持ち上げている。 わざとらしいことこの上ない。ていうかそんな説明したら吊り橋効果は無意味なのでは……。「え、なになに? もう終わりなの? なんだつまんないなぁ」 良司さんが心底つまらなそうな顔で部屋を出ていった。 うむ、あの態度はなんなんだろうか。実は良司さんて性格に難ありなのかもしれない。内緒話もすぐバラすし。「四十歳越えの未
ジャックが大きな溜め息をついた。「白緑よ、我としてはずっと側にいられて嬉しいのだが、その……」 「なんだ?」 思えばジャックと幽霊たちに身の回りの世話をしてもらうのもすっかり慣れてしまった。上げ膳据え膳生活の快適さよ。 それによく考えればジャックは元々ゴキブリじゃないんだし、直接触られるわけでもない。もういいだろうと思えてきた。「我に身を委ねておるし、毎日下着姿で眼福ではある。外出も夜中に樹液を吸いに行くだけであるし、我はこの上なく幸せだ。だがな、そろそろまともな生活をだな……」 なんだよ。やる気が無いときはこうするのが一番なんだ。薬局のバイトは良司さんに引き継いだし、見習いの仕事も声がかからないんだから、まともじゃない生活だろうが別に問題ないだろ。仕方ないことなんだ。「ジャック、あなたは白緑にすべてを捧げる契約をしたのです。何も言わずただ白緑に従っていればいいんですよ。ああ、ワショク、次は辛口の日本酒。つまみはエイヒレで」『そだよぉ。一日中ネトフーリで動画見ながらおやつを食べることが今のぼくらの仕事なんだもん。あ、チューカくん、ごま団子おかわり。それからフレンチちゃんはチョコの盛合せ追加ね。イタリアンは三段ケーキお願い。生クリームたっぷりだよ』 ペンギンの可愛らしさを捨て去った酒臭いシラーと最近テカリを帯びてきたベリーが俺の代わりに返事をする。 二人はふわふわ浮かんでいる。それは醜く肥大化し過ぎたせいでことあるごとに何かにぶつかるため、ついに生活圏を空中に移したからだ。もちろん浮力はジャックの力。浮かび上がっているのに堕落という、表現の難しい光景。 ああはなりたくないものだ。 かくいう俺もダラけてはいるものの、最低限の自己管理はできている。「だが、さすがにこの状態は良くない。不潔かつ不健康、なにより迷惑だ」 ネクロマンサーでゴキブリの肉体をもつヤツが何を言ってるんだろう。お前はそういう環境を好む種族じゃないか。それに存在するだけで世界中に迷惑をかけているのはそっちだ。 だいたい俺は不潔でも不健康でもない。シラーと違って毎日風呂に入ってるし、ベリーも洗濯してもらっている……まあ、ぬるぬるするからあまり着る気にならないんだけど。「良司のこともだ。最近ますます反抗的になっているではないか」 それはそうだが、良司さんの感じから察するに
目指すはご近所さんの学校。その名も日本退魔師大学附属聖ロキロキロ学園。 伴奏はすべてマイナーメジャーセブンスコードの高速連打という個性的な校歌をもつ、小中高一貫の聖職者育成学校である。校訓は悪魔討つべし魔女殺すべし。 その過激な校訓とは裏腹に、何故か俺にはまったく気付かない。教師含め未熟者ばかりで逆に心配になるくらいだ。 実は俺、校庭の樹木や学食目的で何度もここに忍び込んでいる。ベリーの言ってた気になる食堂ってのがここの学食で、三十円のぎりぎり定食という色んな意味でぎりぎりの定食がコスパ最高なんだ。 これを買うと生徒の皆がおかずを分けてくれるし、同い年かちょっと歳下の学食のおばちゃんもサービスしてくれる。さすが心優しき聖職者の卵たちとその関係者。 でもまあその度に「貧乏な新入生可哀想」みたいな目をされるが俺はまったく気にならないし、嘘も言ってないから心も痛まない。俺自身が貧乏なのは事実だし、ちゃんと”侵”入生ですって自己紹介したからな。意味を勘違いしたのは奴らの方だ。 そんなわけで先ずは忍び込み慣れてる高等部からにしよう。「ベリーはいつもみたく制服になってくれ。シラーは財布だ」 『オッケー』 「かまいませんが、中身が空というのはリアリティに欠けますし財布のプライドが許しません。一万円……いえ、三千円でいいので入れといてください」 は? 猫ばば確定なのにそんな大金入れるわけないっての。そもそも財布のプライドってなんだ。じゃあいつも五百円しか入ってない俺の財布はどうなる。「三百円だ」 「やれやれ、ケチ臭いですね」 ケチなもんか。それだけあれば 一ヶ月は満腹を維持できる。あっちの世界と違ってこっちは砂糖がすこぶる安い。三百円もあれば砂糖水という素晴らしいご馳走を毎日楽しめてお釣りまでくるじゃないか。『今さらだけど、いい歳のおじさんが高校生の振りってどうなの? 図々しくない?』 「図々しくない。俺は老けない体質だから実質高校生だ。それに木を隠すなら森の中、だろ?」 「せめて稼ぎだけは歳を重ねて欲しいものですね。なんですか三百円って。嘆かわしい」 うるさい――っと、今はそんなことどうでもいい。とにかく毒薬を探さねば。 ほぼ無い魔力を使い魔法を発動、くるくる蓑虫を召喚する。この虫はあらかじめ伝えておいた探し物に近付くと、手元に引き
てっきり学食へ行くのかと思ったら、阿叢はてんで別の方向へ進んで行く。「え? あの先輩、学食はこっちじゃないですよ」 「黙ってついて来い!」 「は、はぁ……」 どうしたんだろう。まさかその歳で、学校でウンコしてたのがばれて恥ずかしい、とかじゃないよな。『違うよ、さっき白緑がえへへなんて言ったからだよ。すっごく気持ち悪かったからねあれ。オッサンが使っていい言葉じゃないんだから。いい加減年相応になろうよ』 うるさいな。見た目が若いんだから年相応だろうが。それに吸血樹鬼の四十六歳なんて人間で換算すればまだまだ幼児だ。ばぶばぶ言ったって何の違和感もない。『あ、そう。じゃあオムツになってあげようか?』 続けて精神は人間と同じ早さで成長するくせに、とぼやかれた。 何て言い返そうか考えていたら阿叢が止まりこっちを向いた。ここは……北校舎裏のギロチン置場か。「お前、上反りフランクだなんてどういうつもりだ? 脅してるのか?」 ……はて? 俺がおねだりしたのはイベリスフランクであってそんなヤル気満々な雰囲気のフランクじゃないんだけど。 困惑していると阿叢の睨みが一層鋭くなった。その殺意バシバシさは、さすが滅殺と名の付く学科に在籍しているだけある。「上反り? いや、俺が食べたいのはイベリスフランクなんですけど」 「だからそれは上反りフランクじゃないか!」 まるで意味がわからない。そもそも上反りフランクをおねだりしたからってなんで脅しになるのか。「お前も校長みたいに俺を脅して無理矢理――」 ええっ!? ま、まさかそういう……だから上反りとかフランクに敏感なのか? 嘘だろ。こんな聖人を育成しますみたいな学校の、それこそ聖人のような校長が生徒に……はっ!?「ちょ、まっ、先輩! なんで手に霊力集めてるんですか!?」 信じられない量の霊力が圧縮されていてバチバチ、バリバリ嫌な音が鳴っている。『え、なんで? 白緑なにしたの?』 『何もしてない。こいつが勝手に勘違いして勝手にキレてんだよ!』 あああああ、これはあれだ。ヤられてるのがばれたから殺りにきている。きっと槍を作ろうとしてるんだ。阿叢は槍投げの選手だからな。去年インターハイで優勝したとも言ってた。「優しくしてやったのに最低だなお前」 ほら見ろ。殺意たっぷりの霊槍を作りやがった。しかも切っ先を
いや、待て、落ち着け俺。 まずチンコロは違う。別に俺と阿叢で悪巧みしてたわけじゃないんだから正しくは通報……それにしたって俺を放置してそんなことするか普通。 あ、サイレンが止まった。 速すぎる。阿叢が電話を切ってからまだ一分も経ってないのに。「安心しろ。この国一番の正義の味方を呼んだから何の問題もない」 爽やかな笑みを向けてくる阿叢に目眩がした。馬鹿じゃないのか。問題だらけだろ。そもそも俺が助けてくれと言ったか? いいや、言ってない。 しかもかなりデリケートな告白だったはずだ。それを本人の了承もなしに秒で騒ぎにするとは何事か。 まあ全部嘘だからいいものの、もし本当だったら俺のメンタルはめためたになって二度と元に戻ることはなかったかもしれない。 良いことをしている。可哀想な人を助けている。そんな気持ちが透けて見える阿叢の顔。これっぽっちも悪気はないのだろうが、それこそなおタチが悪い。 ご飯をくれるからっていい人だと思った俺が馬鹿だった。こいつはエゴの塊だ。 あああ警察だなんて急展開すぎる。 こうなったからには嘘を真にする他ない。悪いが校長には社会的に死んでもらおう。そうだ、いっそのこと毒薬ばらまき事件も校長の犯行にしてしまえ。 お、そう考えれば結果オーライかもしれないな。不思議と怒りが感謝へ変わっていく。 そうと決まればパンツの下にいくつかキスマークでも浮かび上がらせておこう。乳首にもピアスホールを開けて、如何わしいタトゥーをもう一つ腰に浮かべる。 校長の趣味は知らないが、社会的に抹殺するならこれくらい……いや、もう少し攻めるか? あそこを変型させるように変身して、器具の部分だけ色を変えたら、あっという間に貞操帯の出来上がり。 それから俺のスマホ――はベリーが持って行ったから、阿叢に証拠だと写真を撮らせてSNSにアップさせる。おお、みるみる拡散されていくじゃないか。 怖いなぁSNSって笑 よし、これで準備万端だ。 さあ来い警察、俺の演技力で見事校長に濡れ衣を着せてやろうじゃないか。と意気込んだのはいいものの――「ここです! 竜胆さん!」 ――ん? 聞き間違いか? 今、阿叢が竜胆さんて言わなかったか? ここ我らが日本、日の元の国に竜胆姓は一血族のみ。何故なら母の紫が父の勝三と結婚し、竜胆を名乗ることとなったときに、
くっ、凄まじい魅了魔法。魅了耐性の高い私をくらくらさせるなんて、さすが乱子。でも大丈夫。こうやって自分の顔を殴れば――ほら、なんてことない。「わ、私に魅了なんて効かないわ……」「んもうっ、野蛮なんだからぁ。鼻血出てるわよぉ」 乱子が呆れた様子でハンカチを差し出してくる。やたらと良い香りで誤魔化してるけど、微かにラミアンベラドンナの香りが……息を止めて拭う振りをしておこう。 ていうかよく考えたら危険だったかもしれない。シラーもベリーもいないんだった。魔力の尽きかけた生身の私だけで、どれだけ乱子とやりあえるかは未知数だもの。「じ、実物は実家にあるの。でも事情があって今帰れないから――」「やだぁ、もしかして今さら一人立ちの修行してるのぉ?」 ぐっ、すっごい馬鹿にされてる。そりゃあ私だってこの歳でと思うけど、仕方ないじゃない。「聞いて乱子。私、訳あってこの学校を救わなくちゃいけないの。でも校長が邪魔で……討伐を手伝ってくれたら燐粉をあげるわ」「ちょっと待ってぇ。私の目的を話せばいいんじゃなかったかしらぁ? 急に条件をすり替えられたからびっくりしちゃったじゃなぁい」 チッ、引っ掛からなかったか。 にしても全然攻撃の手を緩めないわねこの女。今の胸の揺らし方は間違いなく誘惑魔法。乱子の胸なんか一ミリも興味ないけど、頬の痛みが引いていたら飛び付いていたかもしれない。やはりハンカチは使わなくて正解だった。 う~む、こうまでして私を駒にしたがる理由……この学校には財宝でも隠されてるのかしら。それならそれで一枚噛みたいけど、先ずは私のミスをどうにかせねば。 乱子が来るなんて予想もしてなかったから、SNSでありもしない”校長の悪事”を拡散してしまった。あの拡散スピードでは、もはや無かったことにするのは不可能。大炎上と損害賠償請求待ったなしだ。 阿叢は社会のお勉強代として払えばいいけど、私の場合、肩代わりする良司さんが可哀想だ。何としても校長を破滅、それか阿叢を単独犯に仕立て上げなくてはならない。「ヤタガラスアゲハの妖精よ? ちょっとお手伝いするくらいバチは当たらないでしょ」「そうだけどぉ……」「このチャンスを逃したら次はいつ入手できるかしらね?」 全然知らないものだし、それという確証もないけど今を乗り切れればいい。実家に帰れさえすれば母の素材庫から代
今や三つ巴……と言いたいけど、実際は同期の魔女と男性教諭連合VS校長と遅れてやって来たマル魔三人&目を覚ました生徒たち。 私は戦闘が始まった瞬間に食堂の調理場へ駆け込み、鉄壁の防御を誇る大型冷蔵庫の中に隠れて様子を伺っている。『たたたたたた大変だよ白緑!』 そこへ、ベリーが戻ってきた。 どうせベリーのことだから、大変とか言いながら私を置いてトンズラかますと思ってたのに、不思議なこともあるものね。 しかしその理由はすぐにわかった。『くるくる蓑虫が蛹になってるよ!!』『さ……蛹!!? なんで!?』『なんでもなにも春じゃん! 蛹になる季節じゃん!』 やいやい喚きながらも素敵な防寒具になってくれるベリーは打算的だ。外も食堂も危険ときて、結局この冷蔵庫が一番安全と考えたのだろう。私のご機嫌を損ねて追い出されるのを危惧しての防寒具、だ。『放置して逃げるって手もあるけど……』『駄目だよ! ここが使えなくなっちゃう!』 ことを収めたとしても、この食堂を使い続けるのは不可能でしょうに。『どっちにしても戦いが収まらなきゃどうしようもないわ』 今はどちらが優勢とも言い難い。 校長はマル魔と連携しながら乱子たちを攻撃しつつ、生徒に指示を出している。騒ぎに気付いた教職員や生徒も続々と駆け付けており、数では圧倒的。 対して同期たちは、主に乱子が二十体の杉村型ホムンクルスと共に校長を相手取り、他は男性教諭と二人一組で乱子の補助とマル魔の相手、それから生徒たちの無力化を担っている。 ジズのパートナーは堕としがいのありそうな堅物顔の図書教諭、銀花は雅な雰囲気の養護教諭で、ヤスエはショタ顔の家庭科教諭と組んでいる。 そしてティティとメグミは、それぞれ刺青だらけの美術教諭とヲタクっぽい音楽教諭……皆、同期たちのタイプに突き刺さる若いイケメンだ。 彼らは普通の学校ならメイン扱いされず、お気楽仕事と揶揄されかねない悲しき教諭ばかり。しかしここは退魔師の学校。すべてメインの戦闘教科であり、大学でド級の実戦訓練を積んできた猛者に違いない。 現に図書教諭は聖書や魔術書を何冊も周囲に浮かべて凄まじい攻撃を繰り出しているし、養護教諭はチート染みた回復術と絶対使っちゃいけない恐ろしい薬品の散布や、養護理念違反甚だしい医療道具による急所狙いを仕掛けている。 家庭科もヤバい。毒
あの短剣で燃やせば証拠は欠片も残らない。少し気が早いけれど、裏切り者の乱子共々校長を始末できて気分は上々。 あとはあの写真を出版社に売り付ければお小遣い稼ぎもできて、一石二鳥どころか三鳥だ。 少し癪に障るけど、あの童顔中年と私が変身していた被害者男子はよく似ていた。校長にイケナイ薬を盛られて襲われた挙げ句、オーバードーズで死にかけたところを”シスターの私”に救われた。良司さんの毒薬被害者も校長の仕業で……という筋書きよ。 今となっては私をシスターに仕立て上げた理由は不明だけど、せっかくだから利用させてもらおう。『いやぁ~白緑がぼくのために殺人だなんて、ちょっと感動しちゃったよ』『殺人? 馬鹿言っちゃいけないわ』 私はそんなことしない。あれは正当防衛よ。それもとことん優しい。 だって校長は私がありもしない罪を着せようとするもっと前から、私をバチカン送りにしようと企んでいたのよ。完全に消しにきていた。 マル魔にしてもそう。奴らはこれまで何人もの魔女を屠っているし、私の大切なベリーに拳銃を向けていた。それにほら、まだ誰も屠ってなさそうな新卒君は助けてあげたじゃない。 だいたい、私はあの短剣をきちんと暴発させたわけで――『え、帰らないの?』 言いながら生徒教職員が倒れている廊下を進み、南校舎に差し掛かったところでベリーが聞いてきた。ずっと怠そうに無視していたから、話題を変えたかったんだろう。『阿叢先輩がトンカツ奢ってくれるって言ってたのよ』『ええ~? この状況じゃ無理なんじゃない?』『食券が欲しいの。一ヶ月有効なんだから』 きっと来月にはこの学校も通常通りになっている。 少しは騒ぎになるでしょうが、所詮校長なんてすげ替え可能な消耗品。どうせ次もそれなりの実力者が選ばれるんだから、誰がなろうと大差ない。 それに理事会とかが全力で不祥事を揉み消すに決まっている。大事にならないのは確実。『食券を回収したら食材もいただくわよ。今夜は豪華な食事でベリーの慰労&乱子の破談お悔やみ会よ』 あの堅牢な冷蔵庫を抉じ開けるのなら大変だけど、幸い私は正規の開け方を知っている。食堂のおばちゃんを何度も観察していてピンときたのよ。『あ、それいいね!』『そうだわ。同期の皆も招待しなきゃ。きっと大泣きしながら集まるわ』 悲しみではなく爆笑で、だけど。 にし
校長は既に勝った気でいる。 人数のアドバンテージに加え、遥か格下の相手をしているという油断。加えて乱子が拘束魔法で私の動きを封じたのも要因だろう。 でも私は気付いたわ。やつらは勘違いをしている。 私に踏んづけられらて意識を失ったシラーは未だ夢の中。そもそもシラーに目眩を起こさせるような能力はない。 やったとすればベリー、もしくは―― 『白緑ぃ~! これ、これ!!』 ベリーが辛うじて動く袖の部分を繊維状にほぐし、こそっと中を見せてくる。 やっぱり! くるくる蓑虫だわ! すっかり忘れてたけど、私はあの頼りになる魔虫を召喚してたんだった。ああ、自分で自分を褒めてあげたい。グッジョブ私! 肩も足も痛いけど銃創がなんだ。くるくる蓑虫さえいればこっちのものよ。覚悟してなさい。『ベリー、私が合図したら全力で回転するよう、くるくる蓑虫に伝えて」『ええっ、全力!?』『死ぬよりましでしょ!』『そりゃそうだけど……どうなっても知らないよ』『かまわないわ!』 あとは少しでいいから時間を稼がなくちゃ。 てなわけで披露してあげようじゃない。何十年と種族や性別を偽り続けた私の演技力ってやつを。「全部乱子の手の平の上だったってわけね……」 観念したように天井を見上げ、それからゆっくり目を瞑り、ため息と共に肩を落としてみせる。「まさか親友に売られるなんて。何だかんだで乱子とは死ぬまで楽しくやってくもんだと思ってたわ」「あら、私もよ。じゃあこのまま死ねたら白緑も本望ね。だって私、今と~っても楽しいもの」 ハートが何百と飛んできそうな語尾ね。ふんっ、ほざいてればいいわ。目にもの見せてやるんだから。「これが親友の会話とは。やはり魔女は醜い」 校長の嫌悪が凄い。よくもまあ人をそこまで蔑んだ目で見られるものだ。そこらの魔女よりこいつの方が、よっぽど魔女の素質がある。 「同感ね。生まれ変わったあと、この学校に入れば多少ましになるかしら」 ま、私は聖職者の半分は偏見を理由に魔女を志さなかっただけで、ベクトルは違えど中身の腐れっぷりは同じだと思ってる。阿叢なんかがいい例だ。 むしろ、きちんと悪事を働いている自覚のある私のような魔女の方が何億倍も誠実だわ。「残念だけどそれは無理よぉ。天使校長の聖剣で貫かれた魔女はぁ、魂が裏山の花畑にある御神木に封印されちゃうん
聖剣は私に当たらなかった。 突如、校長が片膝を付いたからだ。まるで貧血でも起こしたかのように大外れ。その結果、私の左にあった高そうなソファが真っ二つになった。「大丈夫ですか!?」 マル魔の一人、パリコレモデルのような碧眼の男が校長に駆け寄った。さっき私の肩を撃ち抜いたクソッタレだ。「貴様、何をした!」 間髪入れずもう一人、どこぞの王室近衛兵のような雰囲気の美丈夫が威嚇してくる。さっき私の足を撃ち抜いたクソ野郎だ。「何もしてないわ」 なんでもかんでも魔女のせいにしないで。どうせ老人性の貧血でしょ――ほら見なさい。目眩が、って校長も言ってるじゃない。お陰で助かったけど。 校長はパリコレモデルに肩を借りて立ち上がったけど、また直ぐにガクッとなった。「嘘をつくな!」 それを見た近衛兵がまた叫ぶ。同時にカリャリ、と引き金を引く音がした。「だから知らないわよ!」 ていうかちょっと黙ってて。あんたたちも無視できないけど、今はもっと重要なことが――「ローブのポケットを調べたらどうかしらぁ」 そう、乱子よ。さっき校長は言っていた。夜鶯胤家とは話が終わっている、と。 ”私”の姿で倒れていたくせにいつ戻ったのか、本来の姿で胸をゆさゆさ歩いてくる乱子。「んもう、天使(あまつか)校長ったらお口が軽いんだからぁ」 真っ二つになったソファを魔法で消し炭にし、もう一つのソファに校長を座らせた乱子が、私を見下ろしながらその隣に腰掛ける。 そのまま妖艶な仕草で組む足の動きは、かなり強い誘惑魔法だ。残念ね。銃創が痛すぎてちっとも効きゃしないわ。 乱子の登場でマル魔たちの表情がもう一段階険しくなった 。「あの竜胆家の者を浄化できると思うとつい、な。悪かった」「まあ白緑には招待状を送ってないからいいんだけどぉ」 校長の首に腕を絡ませながらこちらを見る乱子は物凄く得意気だ。まさか校長は籠絡済みなのか? 「ポケットにペンギン型の財布がありました!」 ずっとベリーに銃を向けていたマル魔二人のうち、新卒らしき坊主の方がシラーを校長に渡す。「ああん、やっぱりぃ。白緑の使い魔なのよこれぇ。きっと天使校長の目眩はこの子の仕業よぉ」 しかしあれね。乱子が喋る度にマル魔たちがイライラしてるわ。わからないでもないけど、出会して数秒でそうなら、五分だってもたないんじゃないかし
私と乱子はそれぞれ”被害者の男子高校生”と”巨乳の私”に変身し、校長室のある東校舎の五階へやって来た。 昼休み真っ只中で生徒が溢れていた四階までと同様、ここにも妖力吸収機能付き監視カメラの他、妖力封じの罠や霊力の宿る聖句等が無数に設置されている。 しかしそのどれもが、数ヶ月通い続けた乱子によって”私”には反応しないよう改造されていた。北校舎を歩いているときにチラリと漏らしていたが、どうやら乱子も校長を疎んでいるっぽい。 そういう訳もあって乱子に”私”の姿を許したのだが、シスターとして頻繁に来校している”私”が、被害者を救済したと皆に見せ付けた方が効果的じゃない? と提案されたのも大きい。 とはいえ、さすがにすれ違うほぼすべての生徒に挨拶され、竜胆さんと呼ばれる乱子を見るのは背筋が冷たくなった。 おまけにボクサータイプのメンズパンツにレディースのジャケットというちぐはぐな格好の、一目で何かあったであろうとわかる”俺”には、弾けるような笑顔で「こんにちは」とか「学食以外で初めて会ったね」などと言うのだ。 あえて気遣う素振りを見せない気配りとでもいうのだろうか。性的に陵辱された者が救済される様子は、聖職者の卵には見慣れた光景らしい。嫌な学校だ。「思った以上にヤバいわねここ」「古今東西、未熟な聖職者が慰みものにされるのはよくある話よぉ。勿論その逆も」 哀れむように言う乱子だが、そういう原因を作ってるのは、たいていこいつみたいな性に奔放な魔女や色魔などの怪物である。 それにヤバいと言ったのは罠とかについてであって……は?「なんで私にはかけてくれないのよ」 乱子は自分にだけ強力な防御魔法をかけていた。霊力の影響を緩和する魔法もだ。「え~? だって頼まれてないものぉ」 一人だけ安全にこと進めようとはなんたることか。だいたい、まだ乱子の目的をちゃんと聞いてない。いったいあそこまで”私”を身バレさせて何をしようってんだ。 とはいえ、今問い詰めたとしても口は割らないだろう。燐粉と交換でなくては。乱子は――いや魔女とはそういうものだ。「あ、そうよね。五人も友達ができた乱子にはもう、昔からの親友なんかに優しくする理由がないわよね」 せめて嫌味でもとツンツンしたことを言ったら、逆に喜ばれた。「はぁ……もういいわ」 最悪、記憶に関しては姉かジズを頼ればい
くっ、凄まじい魅了魔法。魅了耐性の高い私をくらくらさせるなんて、さすが乱子。でも大丈夫。こうやって自分の顔を殴れば――ほら、なんてことない。「わ、私に魅了なんて効かないわ……」「んもうっ、野蛮なんだからぁ。鼻血出てるわよぉ」 乱子が呆れた様子でハンカチを差し出してくる。やたらと良い香りで誤魔化してるけど、微かにラミアンベラドンナの香りが……息を止めて拭う振りをしておこう。 ていうかよく考えたら危険だったかもしれない。シラーもベリーもいないんだった。魔力の尽きかけた生身の私だけで、どれだけ乱子とやりあえるかは未知数だもの。「じ、実物は実家にあるの。でも事情があって今帰れないから――」「やだぁ、もしかして今さら一人立ちの修行してるのぉ?」 ぐっ、すっごい馬鹿にされてる。そりゃあ私だってこの歳でと思うけど、仕方ないじゃない。「聞いて乱子。私、訳あってこの学校を救わなくちゃいけないの。でも校長が邪魔で……討伐を手伝ってくれたら燐粉をあげるわ」「ちょっと待ってぇ。私の目的を話せばいいんじゃなかったかしらぁ? 急に条件をすり替えられたからびっくりしちゃったじゃなぁい」 チッ、引っ掛からなかったか。 にしても全然攻撃の手を緩めないわねこの女。今の胸の揺らし方は間違いなく誘惑魔法。乱子の胸なんか一ミリも興味ないけど、頬の痛みが引いていたら飛び付いていたかもしれない。やはりハンカチは使わなくて正解だった。 う~む、こうまでして私を駒にしたがる理由……この学校には財宝でも隠されてるのかしら。それならそれで一枚噛みたいけど、先ずは私のミスをどうにかせねば。 乱子が来るなんて予想もしてなかったから、SNSでありもしない”校長の悪事”を拡散してしまった。あの拡散スピードでは、もはや無かったことにするのは不可能。大炎上と損害賠償請求待ったなしだ。 阿叢は社会のお勉強代として払えばいいけど、私の場合、肩代わりする良司さんが可哀想だ。何としても校長を破滅、それか阿叢を単独犯に仕立て上げなくてはならない。「ヤタガラスアゲハの妖精よ? ちょっとお手伝いするくらいバチは当たらないでしょ」「そうだけどぉ……」「このチャンスを逃したら次はいつ入手できるかしらね?」 全然知らないものだし、それという確証もないけど今を乗り切れればいい。実家に帰れさえすれば母の素材庫から代
いや、待て、落ち着け俺。 まずチンコロは違う。別に俺と阿叢で悪巧みしてたわけじゃないんだから正しくは通報……それにしたって俺を放置してそんなことするか普通。 あ、サイレンが止まった。 速すぎる。阿叢が電話を切ってからまだ一分も経ってないのに。「安心しろ。この国一番の正義の味方を呼んだから何の問題もない」 爽やかな笑みを向けてくる阿叢に目眩がした。馬鹿じゃないのか。問題だらけだろ。そもそも俺が助けてくれと言ったか? いいや、言ってない。 しかもかなりデリケートな告白だったはずだ。それを本人の了承もなしに秒で騒ぎにするとは何事か。 まあ全部嘘だからいいものの、もし本当だったら俺のメンタルはめためたになって二度と元に戻ることはなかったかもしれない。 良いことをしている。可哀想な人を助けている。そんな気持ちが透けて見える阿叢の顔。これっぽっちも悪気はないのだろうが、それこそなおタチが悪い。 ご飯をくれるからっていい人だと思った俺が馬鹿だった。こいつはエゴの塊だ。 あああ警察だなんて急展開すぎる。 こうなったからには嘘を真にする他ない。悪いが校長には社会的に死んでもらおう。そうだ、いっそのこと毒薬ばらまき事件も校長の犯行にしてしまえ。 お、そう考えれば結果オーライかもしれないな。不思議と怒りが感謝へ変わっていく。 そうと決まればパンツの下にいくつかキスマークでも浮かび上がらせておこう。乳首にもピアスホールを開けて、如何わしいタトゥーをもう一つ腰に浮かべる。 校長の趣味は知らないが、社会的に抹殺するならこれくらい……いや、もう少し攻めるか? あそこを変型させるように変身して、器具の部分だけ色を変えたら、あっという間に貞操帯の出来上がり。 それから俺のスマホ――はベリーが持って行ったから、阿叢に証拠だと写真を撮らせてSNSにアップさせる。おお、みるみる拡散されていくじゃないか。 怖いなぁSNSって笑 よし、これで準備万端だ。 さあ来い警察、俺の演技力で見事校長に濡れ衣を着せてやろうじゃないか。と意気込んだのはいいものの――「ここです! 竜胆さん!」 ――ん? 聞き間違いか? 今、阿叢が竜胆さんて言わなかったか? ここ我らが日本、日の元の国に竜胆姓は一血族のみ。何故なら母の紫が父の勝三と結婚し、竜胆を名乗ることとなったときに、
てっきり学食へ行くのかと思ったら、阿叢はてんで別の方向へ進んで行く。「え? あの先輩、学食はこっちじゃないですよ」 「黙ってついて来い!」 「は、はぁ……」 どうしたんだろう。まさかその歳で、学校でウンコしてたのがばれて恥ずかしい、とかじゃないよな。『違うよ、さっき白緑がえへへなんて言ったからだよ。すっごく気持ち悪かったからねあれ。オッサンが使っていい言葉じゃないんだから。いい加減年相応になろうよ』 うるさいな。見た目が若いんだから年相応だろうが。それに吸血樹鬼の四十六歳なんて人間で換算すればまだまだ幼児だ。ばぶばぶ言ったって何の違和感もない。『あ、そう。じゃあオムツになってあげようか?』 続けて精神は人間と同じ早さで成長するくせに、とぼやかれた。 何て言い返そうか考えていたら阿叢が止まりこっちを向いた。ここは……北校舎裏のギロチン置場か。「お前、上反りフランクだなんてどういうつもりだ? 脅してるのか?」 ……はて? 俺がおねだりしたのはイベリスフランクであってそんなヤル気満々な雰囲気のフランクじゃないんだけど。 困惑していると阿叢の睨みが一層鋭くなった。その殺意バシバシさは、さすが滅殺と名の付く学科に在籍しているだけある。「上反り? いや、俺が食べたいのはイベリスフランクなんですけど」 「だからそれは上反りフランクじゃないか!」 まるで意味がわからない。そもそも上反りフランクをおねだりしたからってなんで脅しになるのか。「お前も校長みたいに俺を脅して無理矢理――」 ええっ!? ま、まさかそういう……だから上反りとかフランクに敏感なのか? 嘘だろ。こんな聖人を育成しますみたいな学校の、それこそ聖人のような校長が生徒に……はっ!?「ちょ、まっ、先輩! なんで手に霊力集めてるんですか!?」 信じられない量の霊力が圧縮されていてバチバチ、バリバリ嫌な音が鳴っている。『え、なんで? 白緑なにしたの?』 『何もしてない。こいつが勝手に勘違いして勝手にキレてんだよ!』 あああああ、これはあれだ。ヤられてるのがばれたから殺りにきている。きっと槍を作ろうとしてるんだ。阿叢は槍投げの選手だからな。去年インターハイで優勝したとも言ってた。「優しくしてやったのに最低だなお前」 ほら見ろ。殺意たっぷりの霊槍を作りやがった。しかも切っ先を
目指すはご近所さんの学校。その名も日本退魔師大学附属聖ロキロキロ学園。 伴奏はすべてマイナーメジャーセブンスコードの高速連打という個性的な校歌をもつ、小中高一貫の聖職者育成学校である。校訓は悪魔討つべし魔女殺すべし。 その過激な校訓とは裏腹に、何故か俺にはまったく気付かない。教師含め未熟者ばかりで逆に心配になるくらいだ。 実は俺、校庭の樹木や学食目的で何度もここに忍び込んでいる。ベリーの言ってた気になる食堂ってのがここの学食で、三十円のぎりぎり定食という色んな意味でぎりぎりの定食がコスパ最高なんだ。 これを買うと生徒の皆がおかずを分けてくれるし、同い年かちょっと歳下の学食のおばちゃんもサービスしてくれる。さすが心優しき聖職者の卵たちとその関係者。 でもまあその度に「貧乏な新入生可哀想」みたいな目をされるが俺はまったく気にならないし、嘘も言ってないから心も痛まない。俺自身が貧乏なのは事実だし、ちゃんと”侵”入生ですって自己紹介したからな。意味を勘違いしたのは奴らの方だ。 そんなわけで先ずは忍び込み慣れてる高等部からにしよう。「ベリーはいつもみたく制服になってくれ。シラーは財布だ」 『オッケー』 「かまいませんが、中身が空というのはリアリティに欠けますし財布のプライドが許しません。一万円……いえ、三千円でいいので入れといてください」 は? 猫ばば確定なのにそんな大金入れるわけないっての。そもそも財布のプライドってなんだ。じゃあいつも五百円しか入ってない俺の財布はどうなる。「三百円だ」 「やれやれ、ケチ臭いですね」 ケチなもんか。それだけあれば 一ヶ月は満腹を維持できる。あっちの世界と違ってこっちは砂糖がすこぶる安い。三百円もあれば砂糖水という素晴らしいご馳走を毎日楽しめてお釣りまでくるじゃないか。『今さらだけど、いい歳のおじさんが高校生の振りってどうなの? 図々しくない?』 「図々しくない。俺は老けない体質だから実質高校生だ。それに木を隠すなら森の中、だろ?」 「せめて稼ぎだけは歳を重ねて欲しいものですね。なんですか三百円って。嘆かわしい」 うるさい――っと、今はそんなことどうでもいい。とにかく毒薬を探さねば。 ほぼ無い魔力を使い魔法を発動、くるくる蓑虫を召喚する。この虫はあらかじめ伝えておいた探し物に近付くと、手元に引き